いろはにほへと 「〈偶像〉への誤解」
森山風歩×リリーフランキー
からだが求める「気持ちよさ」を大切に、そして美しくあるために。女性の視点でつくられたセルフプレジャー・アイテム『iroha(イロハ)』をモチーフに写真家と文筆家がそれぞれの感性で描写します。
「〈偶像〉への誤解」
キリスト教の出現からだとも言われている。
男は処女信仰を抱き、女性の在るべき姿を純粋培養して考え、求めるようになった。アイドル〈偶像〉は偶像を演じ続けなければならず、それは聖書の外の世界でも、かくあるべきと常識化されてゆく。
写真の彼女は、車椅子の生活をしている。意外に聞こえるのは単純な誤解からだと思う。ピンクに髪を染め、カラー・コンタクトをし、はだけた胸元に刺青をしている。人々が頭の中で偶像化した障害者のイメージとは異なるからだろう。不勉強な人は、障害者に性欲求があることも認識せず、身勝手に天使化して見ている。そうなると、障害を持つ側も、性欲を持たない〈偶像〉を演じなければならない。なぜなら、真実を知ると、天使ではないのかと、俗物以下の者を見るような冷たい視線を送る、身勝手な健常者が多く存在するからである。性欲求は、すべての、いかなる人もが平等に抱く、人間の尊厳のひとつである。写真の彼女は自慰行為をする。障害者であっても、女性であっても、当然自慰をし、性欲求に心を躍らせる。人間の素晴らしい文明と本能の美しさである。
また、性玩具は身体の不自由な人々の手助けにもなっていることを知っていただきたい。なぜ、人は偶像崇拝に縛られ、本当の女性の、人間の姿を肯定しないのだろうか。なぜ能動的に性に向かう女性を怪訝に見るのだろうか。すべては誤解であり偏見であるのに。キリスト教が登場する前の世界では、こんな偏見もあった。女性は男よりも性欲に猛々しく、旺盛な人種であると。誤解なのかもしれない。
でも、だから世界は続いている。