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時代への反発と使命感。女性歌人の短歌を、穂村弘がやわらかに読み解く

 

万葉集をはじめ、長く女性作家が活躍してきたジャンル「短歌」。祈りにも似た思いが込められ、女性たちの多様な考え方や生き方が見えてきます。

 

今回お話をうかがったのは、歌人の穂村弘さん。自身の作家活動に加えて、無名有名問わず、さまざまな作家が詠んだ短歌をユニークな視点で読み解き、多くの方を短歌の魅力へと引き込んでいます。今回は、穂村さん自身の琴線に触れた女性歌人の作品を挙げてもらい、そこに込められた思いや歌人の背景を解説いただきました。彼女たちの背後に共通してある抑圧と、そこから脱出しようと詠われた歌たちから、景色が広がっていきます。

 

穂村弘

歌人。1962年札幌市生まれ。1985年より短歌の創作を始める。2008年『短歌の友人』で伊藤整文学賞を受賞。2017年『鳥肌が』で講談社エッセイ賞を受賞。2018年『水中翼船炎上中』で若山牧水賞を受賞。歌集『シンジケート』『ドライ ドライ アイス』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』『ラインマーカーズ』、詩集『求愛瞳孔反射』、エッセイ集『世界音痴』『にょっ記』『絶叫委員会』『世界中が夕焼け―穂村弘の短歌の秘密―』(山田航との共著)『野良猫を尊敬した日』、『きっとあの人は眠っているんだよ』『これから泳ぎにいきませんか』など。今年1月に読書日記『図書館の外は嵐』が発売。3月発売予定のシンガーソングライター・吉澤嘉代子の5thアルバムでは、歌詞の共作も行っている。

 

小野小町から俵万智まで。女性が活躍してきた「短歌」

──今回、「女性歌人の作品で穂村さんの琴線に触れたもの」という広い括りで、穂村さんに短歌を挙げていただきました。なかにはこんな歌があります。

 

ペガサスは私にはきっと優しくてあなたのことは殺してくれる 冬野きりん

 

穂村:いい歌ですよね。作者の冬野さんは当時一般の方で、18歳。好きな相手を殺したいほど愛したとき、まったく無力な少女はお金も体力もなく、ペガサスに願うことしかできなかったのでしょう。そしてきっと、ペガサスの殺し方は、美しいと思うんですよね。少女の祈りの純粋さと悲しさを感じました。10年経ったいま、じつは彼女は覆面レスラー「ハイパーミサヲ」として、リングの上で戦っていると知ったときは、「最高だ!」と唸りましたね。

 

──短歌というのは無名有名に関わらず、女性作家が活躍してきたジャンルのように思うのですが、いかがでしょうか。

穂村:短歌が「和歌」とよばれていた時期から考えると、ほかのジャンルに比べて女性作家は多いと思います。万葉集の額田王から、小野小町、和泉式部、近現代に入ると与謝野晶子や俵万智など。しかし、近代から戦前までの一時期は、芸術活動全般が非常に抑圧されていたので数が少ない。それが戦後から現代にかけて、女性歌人が増えるという傾向があります。

 

 

願いや欲望が色濃く見える「愛」にまつわる短歌

──では、穂村さんに挙げていただいた歌を、それぞれ解説いただきたいと思います。まずは「愛」について。

 

やは肌のあつき血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君 与謝野晶子

 

穂村:女性の活躍に波があったと話しましたが、与謝野晶子が生きた明治から戦前の時代は特に女性が抑圧されていました。そのなかで、彼女の活躍がなぜ目立ったのかというと、同時代の女性たちの夢や呪いを代弁していたから。いま思えば、たった一人で、酷い目にあった女性たちの無数の声なき声を短歌にしていのではないでしょうか。それは、並外れたパッションがなければできないことだし、本人の意志を超えて時代に選ばれたという面もあったと思います。

「道を説く」ように、真面目な顔で立派なことを言う男性や、それを許容する時代の空気に対して、「私にもあなたにも血潮が流れているのに、いまここで愛をたしかかめずに寂しくはないのか」と言う。説得力がありますし、「私の肌に触れてみろ」という晶子の自信がすごいですよね。

 

──彼女は、女性たちの抑圧への反発を代弁したのですね。

穂村:見逃してはいけないのが、夫の与謝野鉄幹の存在です。もともと与謝野晶子を指導する立場だったのですが、彼女はどんどん才能を開花させて、逆に鉄幹は時代から遅れ、立場が逆転していきます。想像するに複雑な思いだっただろうけれど、鉄幹は晶子の才能を素直に認めた。「自分なんかは石ころのようで、晶子は空に輝く星のような才能がある」という意味の文章が残っています。最愛の人に愛されたからこその強さ、というのも晶子にはありますね。

 

──戦前以降の歌人ではいかがでしょうか。

 

全身を濡れてきたひとハンカチで拭いた時間はわたしのものだ 雪舟えま

 

穂村:雪舟えまさんは現代の歌人です。誰かが全身を濡らして、玄関でボーッと立っているんでしょうね。恐らく想い人である相手を、完全に独占できる純度の高い時間みたいなものがここにはあると思いました。

ときどき、夢見たシチュエーションを詠った短歌というのがあるんです。ハンカチで拭く、束の間でも相手を独占することは、永遠に似た陶酔感があります。こうした、「裡(うち)なる強い願望」が垣間見える歌は素敵ですよね。

 

──かねてから、女性は受動的であることがよしとされ、主体性は奪われてきた。そこへの反抗がたくましく美しく映りますね。

穂村:話がズレるのですが、ぼくは幼少期、峰不二子にすごく憧れたんですね。彼女は圧倒的な主体性を持っていた。だから、呼びかける言葉もほかと違っていて、たとえばルパンに「私の仕事の邪魔しない?」って言うシーンにとてもときめいた記憶があります。「一緒に仕事しよう」ですらなくて「足手まといにならないでね」という感じに、うっとりしてしまいます(笑)。

 

 

毒のあるユーモアも。「家族」「さみしさ」「死」がテーマの短歌

──次は「家族」をテーマにした歌です。

 

力など望まで弱く美しく生れしまゝの男(おのこ)にてあれ 岡本かの子

 

穂村:近代の女性歌人のなかで、圧倒的な主体性を持った人のひとりが岡本かの子。芸術家・岡本太郎の母親です。夫と自分と自分の愛人の三人で住んでいたという、破天荒なエピソードもあります。普通の場合、そんな暮らしを実現させるには、夫と恋人を納得させるだけの何かがないとできないので、カッコいいなと思ってしまう。そんな人が、太郎が生まれたときに詠った短歌です。

当時の状況を考えると、衝撃的です。男に生まれたからには末は博士か大臣か、少しでも強く偉くなれ、という時代でした。でも、彼女は「力など望むな、弱いままでいろ、そして美しくあれ」と詠った。これはきっと、女が男に言われていたこと。それをそのまま息子に言える母親とは、素晴らしいですね。だからこそ、芸術家岡本太郎が誕生したのかも。

 

ほんとうはあなたは無呼吸症候群おしえないまま隣でねむる 鈴木美紀子

 

<散骨の代行サービスございます。>海のきらめくパンフレットに 鈴木美紀子

 

穂村:鈴木さんは現代の歌人です。彼女は、夫について詠った作品がシリーズのようになっているのだけど、怖すぎて面白いんですよ(笑)。一つ目は、恐らく夫が無呼吸症候群なんでしょう。脳や血管に負担をかける病気だから、正直言って生死に関わること。でも、何もしない。女性は受動的であれ、という抑圧に対する最大の逆襲ですよね。ほかの作品では、「靴べらが見つからなくて躊躇なくわたしのゆびを使った夫」というものもあって、ああそういう人なんだなと思いました。

二つ目も、恐らく夫のことです。夫は妻に「僕が死んだら思い出の海に散骨してくれ」とロマンチックに言ったんでしょうけど、散骨の代行サービスですからね。骨を撒くのも嫌だと。世の中には最高の愛がある一方で、冷え切った愛もある。こんなにも愛ってなくなるんだと痛感させられますし、その怖さが素晴らしい作品です。

 

──次のテーマは「さみしさ」について。

 

はじめからゆうがたみたいな日のおわり近づきたくてココアをいれる 本田瑞穂

 

まるみえのまま暮れていくファミレスのなかのひとりに訊いてみたくて 本田瑞穂

 

穂村:両方とも、孤独感を詠ったものです。ぼくも日々寂しくてしょうがなくて、真夜中に自分のほかにも起きている人がいるとわかるだけで安心するんです。インターネットがない頃は、寂しすぎて国道まで出て、車が走っているのを見に行ったほど。だから、短歌で「さみしさ」を詠んだものを見ると、仲間がいるように感じます。

「はじめから~」は、何に近づきたいのか書かないところもいい。何もできないまま一日が終わりそうなときに、まだ会ったことのない友だちや愛する人をイメージしているのだろうと思いました。

「まるみえの~」は、ファミレスもコンビニもガラス張りでなかが丸見えですよね。そのなかには、一度も喋ったことのない友だちがいるんじゃないか、という。ぼくも同じ感覚を持ったことがあって、地方だと一軒だけある本屋さんが聖域のように思っていました。この街に住む友だちになれるかもしれない人は、みんなここに来ているんじゃないかと。そんな気持ちが蘇ります。

 

 

──次のテーマは「死」です。

 

お葬式にはシャボン玉吹いてねと母の願いを了解しました 平岡あみ

 

穂村:平岡あみさんは1994年生まれの歌人です。彼女がこの短歌をつくったときは高校生くらいでした。「私が死んだら、お葬式ではシャボン玉を吹いてね」という母親の言葉にも心揺さぶられるけれど、高校生の娘が「了解しました」っていうところに、この娘もいいなあと。一般的にはルール違反だし不謹慎だけれど、葬式に喪主である娘がシャボン玉を吹いていたらそれは最高ですよね。

「死」に人間は敵わないけれど、死んだとしても、そこにある人間の尊厳や夢みたいなものが残る短歌というのは素晴らしいと思います。

 

──「その他」として選んでいただいた短歌も、胸打つものばかりでした。

 

満員の電車に乗ってる全員の弁当を並べパーティーしたい 戸田響子

 

スカートをはいて鰻を食べたいと施設の廊下に夢が貼られる 安西洋子

 

穂村:「満員の~」は、みんなで降りて、今日会社で食べるはずだった弁当をカバンから出して、並べて食べましょう、と。全員の合意を取ることなんてできないから、叶わぬ夢だけれど、ある種の「パラダイス」への提言ですよね。

「スカートを~」も、願望を詠った作品。恐らく老人ホームに掲示されていたんでしょうね。すごく普通の願いごとのように感じるけれど、施設の都合上制限されていることはいろいろあって、「もう一度だけ死ぬ前にスカートをはいて鰻を食べたい」と。おばあさんの最後の願いを短歌にしたのだと思います。

 

海賊とその肩にゐるオウム欲し 冬夜を航(わた)る硝子窓にて 井辻朱美

 

穂村:井辻さんの作品も、ある種の欲望を詠ったものです。年収の高いイケメンなどではなくて、海賊が欲しい。しかもオウムも忘れるなよ、ということですよね。あなたが欲しいと言われたら嬉しいけれど、ときめき度においては「あなただけじゃダメで、肩にいるオウムも一緒に」が欲望を研ぎ澄ませている感じがして素晴らしい。あと、海賊って肩に乗ってるオウムとセットなんだと思うと、面白いですよね(笑)。

 

 

「使命感の強さ」が研ぎ澄まされている女性歌人は多い

──女性歌人というのは、こうした欲望を研ぎ澄ませることに長けている人が多いのでしょうか?

穂村:そうかもしれません。ずいぶん昔のことですが、年上の女性歌人の方と対談をしていて、ぼくが目をこすっていたら、その人がカバンをあさり始めて、目薬を出してキャップをとってぼくの目にさそうとしたんですよ。なかなか凄くないですか(笑)? 批判もあるかもしれないけれど、あたふたしている自分より相手の女性のほうがイケてると考えてしまいました。

ぼくがすごく尊敬している女性に、萩尾望都、大島弓子、山岸涼子という「華の24年組」とよばれた一群の漫画家たちがいます。彼女たちは、例えば全員が同性愛的な漫画を描いているんですよ。あの時代は、そういう話がまだ一般的ではなかったはずだけれど、きっと時代や社会の抑圧から突き抜けて主体性と自由を獲得しなくてはいけないという、作家として無意識の「使命感」を背負っていたのではないでしょうか。才能とは一つには「使命感の強さ」だと思っていて、そうした感覚も女性歌人は研ぎ澄まされていますよね。

 

──与謝野晶子や岡本かの子が強固な主体性を持っていたように、いまも何かしらの抑圧から突き抜けようとしている人が、現代短歌を引っ張っているように思います。当時と現代の共通する抑圧はあるのでしょうか?

穂村:あると思います。身体の捉え方というのは女性特有で、与謝野晶子は自分の髪を陶酔的に詠い上げていました。

 

脱がしかた不明な服を着るなってよく言われるよ 私はパズル 古賀たかえ

 

この作品も、ユニークですね。男性側が、自分の彼女を所有物だと思っている。その子が着ている服も自分の欲望を充足させるためのものだ、という自己満足な発言への作者の怒りが表れています。「私は私のために服を着ていて、お前のためではない。ふざけるな」という返しも考えられるけど、「パズル」とは絶妙ですよね。メタレベルの反論というのか、「私は誰にも解けないパズルだから、解けるものなら解いてみろ」というアイロニカルな誇り高さがあります。

 

──たしかに、強い主体性を感じます。今回は、短い言葉のなかに込められた女性の切実な欲望から、さまざまな生き方や考え方に思いを巡らせることができました。

穂村:ここに挙げた短歌は一見バラバラのようですが、歌人たちの背後には共通の抑圧があると思います。そこからの脱出口を、さまざまなかたちで提示しているのが、今回選出した短歌です。

最初に挙げた冬野さんの場合など、ぺガサスへの祈りが転じて、いまでは自分がプロレス技をかけているとは痛快ですよね。地獄を越えて、自らがペガサスになってしまった。主体性を獲得したことが可視化されている。

女子プロレスラーといえば、いまって、男性とも戦うこともあるんですよ。短歌の世界でも、心の次元で女性歌人が男性歌人に勝っていた部分は多いにあるわけですよね。魂の戦いが可視化されるという、かつてはある種のファンタジーだったことを、いまはみんながリアルに応援していることに、時代の進化を感じました。

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