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描くのは、性を謳歌する「美男子」たち。画家・木村了子が見つめるエロティシズム

 

性的に人をまなざすこと、特に女性が性的欲求をオープンにすることは、いまだ「良し」とされていない風潮があります。それは、表現という場においてはまた違った文脈での議論が生じ、性にまつわるさまざまな疑問を投げかけます。たとえばBLやアイドルといった対象を愛でることも、性的消費になるのでしょうか?

 

画家の木村了子さんは、伝統的に見られる客体としての女性が描かれてきた「美人画」のモチーフを、美しい男性に置き換え、長年にわたって、日本画の手法で描いていらっしゃいます。木村さんの描くイケメンたちはエロティックで、その美しさに多くの女性たちが魅了され、『美男におわす』展をはじめ、公共の美術館で展示されるまでになっています。

 

女性が性的なまなざしを異性に投影することをオープンにした木村さん。創作の原点や表現における性的消費についてなど、お話をうかがいました。

 

■プロフィール

木村了子
現代東洋の美しい男性(イケメン)をモチーフとした屏風絵や掛軸などの絵画作品を発表。伝統的な日本画の技法や絵画のスタイルを継承しつつ、異性であり愛の対象である「男性」を時にはエロティックに、時にはコミカルにさまざまなテーマで描き出す。王子様や人魚、ターザンやカウボーイなどファンタジックな男性像が織り成す作品郡は、過去と現在、和と洋が絶妙に交差する独特の画風を形成。絵画制作ほかフィギュア作品や九谷焼制作、映画美術への参加など、幅広い分野で活動。
twitter:@KimuraRyoko

 

性的欲求は「生きる喜び」という圧倒的な強さがあると思っていて

――日本におけるジェンダーや身体、社会に対してフェミニズム的視点を持った作品を集めた金沢21世紀美術館の企画展『フェミニズムズ / FEMINISMS』に参加されています。反響などはいかがですか?

 

木村:観光客の多い美術館なので、「フェミニズムって何だろう?」とよくわからないまま来場する人がほとんどだそうです。でも、それはいいことですよね。キュレーターの高橋律子さんもおっしゃっていましたが、興味のなかったテーマだからこそ、考えるきっかけにしてほしい。私の友人は、修学旅行で訪れていた男子中学生が、私の絵を見て「うわあー」って驚いていた場面に遭遇したそうです(笑)。

 

「見る」という経験は必要なことだと思います。私の作品の展示室は年齢制限がなかったので、親子連れで鑑賞した方からご意見があったようです。たしかに、見せたくない人もいると思います。ただ、伝え方が大事で、完全に禁止するのは逆効果だと思うんですよね。

 

『フェミニズム / FEMINISMS』出品作 木村了子『目覚めろ野性!水墨鰐虎図』
each 絹本水墨, Ink on silk, 194 × 97cm 2009/2021

 

木村:駆け出しの頃、スイスのアートフェアで展示した際に、子連れのお父さんが和やかに子どもの目を塞いで「君にはまだ早いよ」と伝えていました。その感じが、とっても粋で。日本だと強く「見ちゃダメ!」と言う方が多いのですが、それだと余計に気になってしまうし、押さえつけられることで間違った方向にいく可能性もあります。性暴力のこと、セーフティーゾーンのこと、蔑視するような性表現は認めないことなど、性教育の方針を自分のなかで持ったうえで、子どもに伝えることも必要だと思っています。

 

――木村さんが性的表現に対してフラットな姿勢を持っていらっしゃるのは、何かきっかけがあるのでしょうか?

 

木村:性に対して比較的オープンな環境で育ってきたことが大きいと思います。私の父は、ポルノ映画も含めた映画監督をしていたので、資料として女性のヌード写真集やエロ小説が部屋のそこら中に転がっていたんです。多感な時期の私は興味津々で。

 

親と一緒に見る気まずさはありましたけど、父の仕事として捉えて、年齢制限に合わせたものを見せてくれました。なので、性に対してタブーな感覚がなく、あくまで表現物における性はバーチャルなものとして認識していました。

 

『フェミニズム / FEMINISMS』出品作 木村了子『目覚めろ野性!水墨鰐虎図』
each 絹本水墨, Ink on silk, 194 × 97cm 2009

 

――木村さんはもともと油絵専攻でいらして、「美男」モチーフに出会う前から「エロティシズム」というテーマは一貫されていたと過去のインタビューで拝見しました。このテーマに惹かれた理由を教えてください。

 

木村:そういう環境で育ってきたこともあり、からだを張っている女性をカッコよく思っていました。また、性的欲求は人間の本質であり、「生きる喜び」という圧倒的な強さを持っているのではないかと思ったんです。

 

ただ、美術大学に進学した頃は、性的なものを描くのはタブーではないかと勝手に思い込んでいました。ヌードを描くなら、黒田清輝のような芸術的な裸婦像を描かなければ認められないんじゃないか、と。学校を卒業してからいろいろ吹っ切れて、「人間のエロティシズム」を見つめていこうと決めました。

 

ただ、初めの頃は女性像を描いていました。人物画を描くなら女性と、信じて疑わなかったんです。

 

――そこから疑問を感じたのは、どういったきっかけが?

 

木村:エロティックな女性像を描いていると、個展などで男性から「君の作品には色気がない、もっと自分の性をさらけ出すべきだ」と言われるようになりました。たとえば女性画家・上村松園が自身の女性器を描いたように、それくらいやりなさいと。

 

一度の個展で5人の男性から似たようなことを言われたときに、描いた女性像と自分を同一視されていることや、男性主体のエロティシズムの視点への違和感と、気持ち悪さも感じました。

 

一体、私は誰のためにエロティシズムを表現したいのだろうか? どんなエロティシズムを見たいのだろうか? と考えるようになり、自身の性的対象である「男性」を描いたほうが、私が求める本質的な強さや色気を描けるのではないかと考えて、「イケメン」を描き始めたんです。

 

木村了子『国上寺本堂 イケメン官能絵巻』。
2019年、新潟県・国上寺の依頼によって本堂の壁画を制作。
上杉謙信や源義経ら歴史上の偉人を官能的に描いた

 

「えげつない賛否両論」を呼んだ「男体盛り」が生まれるまで

――そうして初めて発表された作品が2005年の『Beauty of My Dish』という、女体盛りならぬ男体盛りの作品でした。

 

木村:学生のときから、モデルさんが来るなら全員女性。男性ヌードを描いた経験は一度だけだったので、まずは男性のモデルさんを探すところから始めました。

 

モデルの男性は私の考えを面白がってくれて、「せっかくあなたのために脱ぐんだから作品にしてください、僕をうまく料理してくださいね」と言ってくれたんですね。その「料理」というフレーズからヒントをもらって、男体盛りを提案したらゲラゲラ笑いながら「やりましょう!」と。とても楽しい創作の時間で、私のやりたかったことはこれだ! と思いました。ものすごく本気で料理を用意して盛って、バッテリーがなくなるまでカメラに収めて、何枚も描きました。

 

その当時の自分には、客体が男女逆転することの意味やフェミニズム的発想はありませんでした。誰のためでもない、自分のためだけに、とびきりの男体盛りを描きたいと思ったんです。

 

『フェミニズム / FEMINISMS』出品作で、『Beauty of My Dish』シリーズの1作。
木村了子『人魚達の宴図』雲肌麻紙に岩絵の具 F30 / 91.0×73.0 cm 2005年

 

――反応はいかがでしたか?

 

木村:えげつないほど賛否両論でした(笑)。一目見て逃げ出した方もいましたね。ただ、一つ嬉しいことがあって。知人の「女王様」をやっている方に、「男体盛りを描く」とだけ話したら「気持ち悪い!」と言われたんです。でも、絵を見たら「あら、美しいわね。私もやってみたいわ」と言ってくださって、「よおし!」と思いました。

 

作品を発表したのは2005年ですが、当時は「女性のヌードは起伏があり美しいが、男性のヌードは平坦で美しくない」という考えの人もまだまだ多い時代でした。だから、余計に美しく描きたいという気持ちを強く持っていたんです。そうして生まれた絵を見て、たった一人でも価値観を変えることができたことで、美男をエロく描くことに手応えを感じました。

 

性を謳歌して、自分を美しく見せることに貪欲な意思のある人は、男女問わず魅力的です

――フェミニズムなど意識するようになったのは、いつ頃からですか?

 

木村:男性をモデルにした作品を発表してから徐々に意識せざるを得なくなりましたが、自分の作品が「フェミニズムアート」という意識はなかったです。当時、男性の裸を描くのはほとんどがゲイのアーティストでした。私がゲイ男性だと思われていたことは多々ありましたが、海外のアートフェアに出展したとき、ギャラリーの方に「木村さんの作品はゲイアートとして売りました」と平気で言われたんですね。

 

そのときはもう、唖然としてしまって。私は女性であることを隠さず、むしろ女性の目線で描く男性像をテーマにしているのに、なぜ勝手に性別を詐称するのだろう、と。女性は男性を描いてはいけないのだろうか? と考えるようになりました。

 

そこで、やはり長い年月、描かれる客体のほとんどが女性だったことは問題だと思うようになりました。アート作品では女性が描く男性モチーフの作品量があまりに少ないですよね。「女が男を見るなんて生意気だ」と直接言われたこともあります。

 

いまの時代なら誰もそんなこと言わないと思いますし、それはフェミニズムのおかげで考えが変化した部分だと思います。一方で、「性的消費」という文脈で、エロティックなものが強い反発を引き起こしてもいます。

 

京都の泉涌寺で行なわれた展覧会で展示された掛け軸の作品。
木村了子『蓮池寝仏図』絹本着彩、176×154cm、2019年

 

――不特定多数の目に触れる広告などでは、過度に露出のある女性キャラクターの表象などが、男性からの性的消費につながるとして、たびたび批判にさらされていますね。

 

木村:私の作品も、女性と男性を置き換えるだけで、消費される性を肯定するものだ、女性による「性的消費」だと批判を浴びることがあります。一口にフェミニストといってもいろいろな考えの方がいらっしゃいます。私のことを理解して「フェアでいいじゃないか」と言ってくれる方もいますが、果たして自分の創作が「性的消費」なのか、そもそも「性的消費」とは? と、よく考えています。

 

たしかに、アートにおけるエロティシズム的な作品は、耽美的で女性が虐げられているような絵が多くあります。明らかな女性蔑視のある作品には共感できませんが、女性から見ても素敵だと思う作品も多々あります。エロティシズムにおける欲求や表現に、ジェンダーは関係ないですからね。

 

私が描くのは性を謳歌して、自分を美しく見せることに貪欲な意思のある人間。そうした人は男女問わず魅力的ですし、エロティシズムを通じて彼らを描くことで「人間の強さ」を描けるのではないかと考えています。

 

木村了子『普賢菩薩像』絹本着彩、裏金箔 2017年

 

木村:いまはまだ、「性的消費」という言葉の定義が確立されていないので、性における「消費」という言葉は、相手の尊厳が奪われたり食い潰しているネガティブなイメージがあります。一方で、私の絵を買ってもらったり、入館料を払って観て楽しむといった経済的な意味での「消費」はポジティブなイメージですよね。今後、「性的消費」という言葉がどう定義されていくのか、こうして話していくことは大事だと思っています。

 

――BLやアイドルのブームなどもあり、自分自身が普段「推し」を愛でていることも性的消費ではないか、という悩みを持っている人は多いのではないかと想像します。

 

木村:個展にきた女子大生から「男性アイドルが好きで、彼らのパフォーマンスにときめくことは性的消費なんでしょうか?」と相談を受けたことがあります。しかしそれは、「鑑賞」ですよね。最近、「鑑賞」が「消費」という言葉にすり替わってる印象を持っていたのですが、この二つの言葉の境界も実に曖昧だとの指摘もありました。

 

鑑賞や応援の一環としてお金を使う意味の「消費」には大賛成。私にもイケメン仏画を描くきっかけになった推しの美僧侶がいるのですが、先日その方のおられるお寺で、「これぞ喜捨」と思いながら散財してきました(笑)。もちろん、愛でるといってもストーカーなど法に触れる行為は大前提としてNGですが、敬意をもって、創作物やアイドルを愛でて幸福を得ることに、罪悪感を感じることはないと思います。大いに楽しみたいですよね。

 

性別や年齢のグラデーションも視野に入れて、「イケメン」を描きつづけていきたい

――美しい男性を描くことが、創作のモチベーションであることはこれまで一貫して変わらないのでしょうか。

 

木村:波はありますが、美しいものに対する興奮がモチベーションであることはずっと変わらないです。一時期美男子にまったく興味がなくなり、「もう描けないかも」と落ち込んだこともありましたが、そのときに出会ったのがその美僧侶。創作意欲がグッと回復しました。

 

ただ、これは非常に残酷な部分ではありますが、私は描く対象が男性という「他者」だからこそ、創作のイマジネーションが膨らみ、精神的にラクに描けてるんですね。もし同性である女性像だったら、長く描き続けられなかったと思います。たとえば、大股びらきといったポーズは女性だといまは描きたくないなと思うんですが、男性ヌードだと嬉々として描けてしまう。この差はなんだろうと自分でも思いますね。

 

――自分のなかに、そうした残酷さが「ない」とすることは不健康だと思います。そうした側面を受け入れて、折り合いをつけていくことが必要なのかなとも思いますが。

 

木村:その通りだと思います。いまは、以前に比べて男性も見られる客体になる機会が増え、BLの商業的な成功などによっても、積極的に性的な目で男性を見ることが、ある程度、受け入れられている状況です。

 

昔は経済的に余裕のあった男性が私の作品の購入者でしたが、先日開催した個展では、買い手の95%が女性でした。以前は、男が好き、と言うとビッチと呼ばれ蔑まれる感じがありましたが、女性の性についてオープンに語られるようになり、楽しくエロティシズムを論じられるようになっているのは、いい変化だと感じています。私の作品が、公共の美術館に展示されること自体、驚くべき変化だと思いますけどね。

 

埼玉県立美術館などで開催された『美男におわす』展出品作。
木村了子『男子楽園図屏風 West』鳥の子和紙に岩絵の具、金泥 六曲屏風/ 207×406cm 2011年

 

――性別や性的指向の多様性が注目されるようになり、木村さんが美男を描き始めた16年前とは大きく時代の流れが変化していると思います。ご自身の意識や作風にそうした変化の影響はありますか?

 

木村:作風という意味では、これからもイケメンを描いていくことは変わらないと思います。ただ、これまでは男か女という二極を描いてきましたが、いまは性がもっとグラデーション化して捉えられていますよね。今後はそうした視点も踏まえて、性に関する意識がもう一段階上がったところでどんな表現ができるのか、考えていきたいです。

 

また、これまでは「美人画=若い女」という考えと同様に、イケメンといえば若い男性だと無意識に思っていましたが、先日お年を召した僧侶を描いて、ときめきました。これからも基本的にはさまざまなイケメンを描きながら、ジェンダーの幅だけでなく、年齢の幅も広げていきたいと思っています。

 

木村了子

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