無意識の「我慢」を、外に出すことから始めよう【牧村朝子×心地よさを探す旅】
女性たちが、もっと自由に、素直に、軽やかに生きるために必要なものってなんだろう?
そのヒントを探すために、「iroha」は「心地よさを探す旅」を始めました。安易なカテゴライズや境界線に頼らず生きる女性たちとのおしゃべりを通じて、世界をいまよりも少し「心地よく」するための方法を探していきます。
第2回のゲストは、国内外を取材しながら文筆家として活動する牧村朝子さん。多様な「愛と性」のかたちを追い続ける牧村さんにお話を聞くと、女性が時代を超えて立ち向かってきたものの輪郭が見えてきました。
第1回:たなかみさきさん(https://iroha-tenga.com/contents/interview/1951/)
第3回:エミリーウィーク 柿沼あき子さん(https://iroha-tenga.com/contents/interview/3606/)
牧村朝子
1987年、神奈川県生まれの文筆家。芸能界デビュー後、人間の性のあり方を見つめ、国内外への取材を重ねながら執筆やメディア出演、講演などで活動している。cakesでは、読者から寄せられる「愛と性」のお悩みに答えるエッセイ「ハッピーエンドに殺されない」(https://cakes.mu/series/3068)を連載中。
Twitter:@makimuuuuuu
無意識のうちに、あなたも「我慢」していませんか?
――牧村さんは、女性たちの「心地よさ」を妨げているものはなんだと思いますか?
牧村:我慢だと思います。女性に限りませんが、「我慢すればなんとかなる」「私さえ我慢すれば」といった我慢の美学が、心地よさを妨げるいちばんの要因なのではないでしょうか。
日本最初の近代国語辞典『言海』で「我慢」を引くと、じつはいい意味で書かれているんですよ。最初が「仏教ノ語、我自ラ我ヲ誇ル。自慢」。2番目が、「転ジテ、我意ヲ張ル」。これって、「自分の思いどおりにする」とか「自分にプライドを持つ」みたいなことでしょう? 3番目に、「転ジテ、堪ヘガタキヲ堪フル」。……どこかで聞いたこと、ありますよね。
――いつの頃からか、真逆の意味になってしまったんですね。
牧村:私は戦争の頃なんじゃないかと思っています。この『言海』は第566版で昭和7年(1932年)の刊行ですが、初版にはどう書いてあったんでしょうね。
――牧村さんは、我慢を強いられた経験がありますか?
牧村:私は10代から好き勝手な格好をしてきたし、フリーターからフリーランスっていう経歴だし、「私は我慢しないから」というポーズで好き勝手に生きてきたつもりでした。でも、ついこのあいだ我慢したことがあったんです。
農場で働きながらステイするファームステイのために、ニュージーランドに行ったときの話です。私はご夫婦がいると聞いていたんですけど、いざ到着したら奥さんが「ようこそ! じゃあ私は街に行ってくるから」って出て行っちゃって、2人きりになったんですよ。旦那さんは70歳くらいのおじいちゃんでした。
そして何日か経ったころ、私がトラックの荷台に頑張って登ろうとしていたら、いきなりフワッと身体が軽くなったんですよね。なんだろうと思ったら、おじいちゃんが私のお尻を押していたんです。
――それは……。親切心だと思いたくなってしまいます。
牧村:私もその時点では、「助けてくれたのかな?」と思って何も言わなかったんですよ。でもその夜、同じ農場にステイした人たちのゲストブックを読んでいたら、最後のページに日本語で「あのジジィに気をつけろ」みたいなことが書いてあって。どのくらい信じていいのかわからないけど、身体を触られた体験談が残されていたんです。
それを読んで私は、お尻を触られても「これは我慢すべきことだ」と思ってしまった自分に気づきました。助けてもらったし、ここでステイさせてもらっているんだから、って。でも、ひととおり部屋を調べてみたら、部屋のドアノブについた鍵がカバーで隠されていたんですよね。いろんなことが疑わしく思えてきましたが、それでもやっぱりまだ我慢してしまった。
――その後、どうしたのですか?
牧村:翌日、ニュージーランドで知り合った友達に連絡をしました。「お尻を触られて、ゲストブックにも気をつけろって書いてあったんだよね」って。私は笑い話として言ったつもりでしたが、そしたら「すぐに逃げろ、親戚が近くに住んでいるからそこまで行け」と。そう言われてようやく、荷物をまとめて書き置きを残して、迎えに来てくれた車でステイ先を出ることができたんです。
――「おかしいな」と思うタイミングは何度もあったのに、我慢してしまったんですね。
牧村:言おうとしたけど、言わなかった自分がいたんですよね。同じように、無意識で我慢していることって、いっぱいあると思うんです。「おもしろくないときに笑う」とか、「嫌なことを嫌と言わない」とかね。でもその我慢は本来、美しいものなんかじゃないはず。
ニュージーランドでの出来事を思い出しながら、私は「どうしたら我慢しなくて済むのか」をずっと考えていました。今回でいえば、「我慢」を我のなかに留めなかったことがよかったのだと思います。笑い話風ではあったけど、「こんなことがあってさ」って言えた。で、それに対して友達も怒ってくれたし、闘ってくれたし、助けてくれた。
――誰かが怒ってくれることで、「やっぱり変だよね?」と思えるようになったんですね。
牧村:うん、誰かに話すことは大事だと思います。私の場合は「すぐ逃げろ」って言ってくれたからよかったけど、もしかしたら「そういうジジィ、いるよね」って笑い話で終わっちゃうパターンもありますもんね。どうしたら我慢をやめられるんだろう。どうしたらそれが我慢だって気がつけるんだろう……。
――とても難しいですが、やはり「それはダメだよ」と言ってくれる他人の存在は大きいかもしれません。
牧村:そうね。そして誰かに同じような相談をされたとき、「そうだよね」って同意の笑いで流さないで、ちゃんと向き合ってあげられる人になることも必要なんだと思う。
「書のかたはしをもよむ人のしわざか」。日記に吐き出された樋口一葉の怒り
――とはいえ、「我慢しなきゃダメ」を守り続けて生きてきてしまった人も少なからずいるでしょう。それが当たり前だと思っている人は、どうしたら自分の我慢に気づけるでしょうか。
牧村:「我慢」の殻のなかって、安全ではあるんですよね。ほかの人と衝突しなくて済むし、無難な人だと思ってもらえるし。そういう安全な「我慢」のなかで息をしたい人に「目覚めなさい!」って言うのは違うと思うし、私にはできません。ただ私は、自分が「心地よく生きる」ことを考えるとき、自分より前に生きてきた女たちの歴史を見ます。
たとえば樋口一葉さん。5,000円札でおなじみですが、彼女の人生ってホントにヤバいんですよ! 女ばかりの家庭で貧しく生きていかないといけなくて、でも当時「女の仕事」は全然お金にならないわけです。さらに図書館で本を読もうとしただけでも、図書館は男ばかり、じろじろ見られてヒソヒソされて、「ヒュー彼女こっち向いて!」とからかわれて。
一葉さん、それに対して日記で「書のかたはしをもよむ人のしわざか」(※)ってめっちゃキレてるんですよ(笑)。すごく知的にエレガントな言い方で「勉強してるくせにそんなこと言うの!? バーカ!」って怒っているけど、それはあくまで日記のなか。一葉さんもその場ではキレられなくて、我慢していたんです。
(※)出典:春陽堂文庫『一葉日記集 上巻』国立国会図書館デジタルコレクション所蔵
――いまでこそお札の顔にもなるような女性が、ほんの100年ちょっと前は本を読むだけでも我慢を強いられていた。
牧村:一葉さんの日記を読んでいるとつらい気持ちになるんですけど、でも、彼女が我慢したことを私は我慢しなくていい。文筆家として筆一本で食べているし、図書館で「女が本読んでる」なんて言われたらその場で我慢せずにキレるし。
私が令和の世を我慢せずに過ごせているのは、一葉さんが我慢したつらい気持ちを日記に残し、それを後世の人が知れたからだと思うんですよ。だから「我慢すれば済む」と思いそうになったら、後ろを振り返るし、これからの時代を生きる人のことを思うかな。
――何かしらのかたちで吐き出すことって、すごく大切なのかもしれませんね。
牧村:しかも、いまはそれがやりやすいですよね。一葉さんの日記はたまたま文学的な価値を認められたから後世の人に読まれたし、林芙美子さんの『放浪記』だってそう。彼女たちが文学者だったから残っているけど、これまでに「読まれなかった日記」がめちゃめちゃあったはずです。
我慢してきた多くの人たちはその場で怒れず、日記に書くしかなかっただろうし、その人が亡くなったら日記も一緒に燃やされてしまったでしょう。でもいまはSNSやブログ、新聞社のタレコミメールまで、表現する手段がいくらでもある。だから「我」のなかで起きていることをどんどん書いていこう、って思います。そしたら、私みたいに「そもそも自分、我慢してたんだ!」っていうことに気がつけるかもしれない。
外に出した「我の言葉」がつながって、大きな世界の変化を起こす
――牧村さんはcakesでお悩み相談を連載されていますが、相談するみなさんも自分の「我慢」を誰かに吐き出したくて投稿しているのかもしれませんね。
牧村:じつは、寄せられる相談のほとんどが「悩み相談」じゃなくて「打ち明け話」なんですよ。「本当はこう思ってる」とか「誰にも言えないけどこんな経験をした」とか……。私を信頼してくれて、話してくれたことはすごく嬉しいですし、みんなと交換日記しているみたいな気持ちですね。書かれていることはプライベートな「我」の世界のことだけど、自分だけで抱えているのはつらいし、誰かとは共有したい。「この秘密を抱えて死ぬのは私だけじゃないんだ」と思える感じ。
――とても難しい話だと思うのですが、「私が我慢しない」ことは、他人の心地よさを妨げてしまうことにもつながりかねません。どのようにバランスを取ればよいでしょうか。
牧村:うーん、難しいな。たとえばすっぴんで出勤することが心地よい人もいるけど、「ちゃんと化粧しろよ」って思う人もいるっていうことですよね。私も友達に言われたことがあります(笑)。でも、無理だよ。どんなに気をつけていたとしても妨げ合ってしまうんだと思う。それをわかっているから、私も「みんな我慢しないで生きようぜ、イェーイ!」とは言いたくないんですよね。それはそれで押しつけになっちゃうし。
だから、他人の心地よさを妨げそうになったときに、開き直るんじゃなくて「どうしたらその人といっしょに心地よくなれるか」を考えなきゃいけないと思うんですよね。
――「私が心地いい」状態から「私とあなたが心地いい」状態へ、少しずつ広げていくということですか?
牧村:そうですね。そして「我」のレンジは広いほうが心地いいんだと思います。そのためには、コミュニケーションしかないかな。コミュニケーション自体を不快に思う人もいるでしょうけど、人と対面で話すことだけがコミュニケーションじゃないですよね。匿名でもいいし、私に打ち明け話を送ってくれるのでもいいから、「我」の世界で起きたことを留め置かずに、外に出すことが必要なんじゃないかな。
思い返せば、私も自分が心地よくいるために日記を書いていました。自分の考えを一度言葉にすることで、それはもう「我」の世界からちょっと出ているんですよね。せっかくこんなに通信技術が発達しているんだから、できるだけ人と連絡を取りましょう。それが嫌なら、日記でも絵でも写真でもいいから、「我」の世界から出しましょう、っていうことかな。
――「SNSの功罪」などとよく言われますが、SNSに救われた人も多いかもしれませんね。
牧村:「#MeToo」や「#KuToo」だって、SNSがなかったらムーブメントにはなっていなかったでしょうしね。そういえば「too」って、「我」の世界から出ることですよね。「私もだよ」って呼びかけることで、その我慢はひとりのものじゃなくなくなる。
「iroha」さんが提唱している「セルフプレジャー」だって、我慢しない選択肢を表現するものですもんね。調べてみたら、ドイツ語として入ってきた「マスターベーション」や「オナニー」を、最初は「自涜」……つまり「自分を汚す」という意味に訳したんですって。それを「自慰」に変えた人を文献で見つけました。小倉清三郎さんと山本宣治さん、どちらも明治から大正時代の学者です。
牧村:小倉さんは「これは汚れや罪ではなく、人間の自然な生理現象だ」、山本さんは「人間にはみんな生殖権と享楽権がある」と主張していました。でも、山本さんは国会で刺殺されているんです。「自涜」が「自慰」になるまでには、戦いがあったんですね。
そしていま、「自慰」という言葉にもネガティブなニュアンスがあるから「セルフプレジャー」という表現がライブで生まれている。その言葉で大きく世界が変わるのは100年後、200年後かもしれない。でも、絶対に何かを変えるはずです。100年以上昔に生きた人のパンツのなかの苦しみだって、いまの世界につながってるんですよ! 小倉さんと山本さんが「iroha」や「TENGA」を知ったら、すっごく喜んだと思う!
――牧村さんは、多くの人がより心地よく生きられる世界には何が必要だと思いますか?
牧村:わかんない(笑)。みんなのなかにそれぞれ答えがあるんだと思います。それをちょっとずつ「我」の外に出していくと、不思議とつながって、大きな答えにたどり着くんじゃないかな。「これが正しさです」「これが心地よさです」って、上から定義するんじゃなくて。
文筆家という仕事と矛盾するようですが、私は「みんな」に向かって何かを言ったり、書いたりしたいとは思いません。いつも隣に来てくれた「あなた」に語りかけていたい。もちろんフォロワーが増えたら嬉しいけど(笑)、「あなた」への意識はつねに失いたくないですね。だって、「一対多数」の世界ってすごく寂しいから。