作家が紡ぐセルフプレジャー
第5回:アルテイシア「セルフプレジャーについて語る時に僕の語ること」
「セルフプレジャー」をテーマに、作家が思いをしたためる連載「作家が紡ぐセルフプレジャー」。第5回目は、作家のアルテイシアさん。
「ご趣味は?」
「セルフプレジャーです」
と自己紹介ではさすがに言いづらいが、セルフプレジャーは良い言葉だなあと思う。
本屋に『セルフプレジャーについて語る時に僕の語ること』という本があったら「村上春樹の新作かな?」とうっかりレジに持っていきやすいんじゃないか。なので「セルフプレジャー」がさらに普及すればいいなと願いつつ、私は使い慣れた「オナニー」で語らせていただきたい。
我がオナニーの歴史を紐解くと、高校時代にクリトリスを発見した。
45歳の私が高校生だった頃はスマホどころかポケベルもなくて、性の情報にアクセスしづらかった。なので文字どおり手さぐりでオナニーしつつ「うーん、よくわからんな」と穴周辺を触っていた時に「!!……カ・イ・カ・ン……」と脳内で機関銃を発射した。昭和の人間なのでイメージは橋本環奈じゃなく薬師丸ひろ子だ。
それで「オーガズム大陸、発見!!」としゃかりきコロンブス顔で女友達に報告したかというと、しなかった。
私は女子校に通っていて、同級生とロッカーで乳輪の直径を定規で計って面積を求めてゲラゲラ笑ったりしていたが、それでもオナニーの話はできなかった。当時はまだオナニーの話にタブー感があったのだ。
その後、20代になると一部の女友達の間でオナニートークが解禁された。
「お気に入りのバイブを見つけて、早く家に帰ってオナニーしたいから、仕事の処理能力が上がった。そのおかげで上司に褒められた」など、愉快にトークするようになった。
それは『セックス・アンド・ザ・シティ(SATC)』の影響が大きかったかもしれない。「あんなふうにあっけらかんと性の話をしていいんだ、つかめっちゃ面白いやん!」と、極東の島国に住む女子のタブー感も壊したんじゃないか。
たとえば、SATCにはこんなエピソードがある。「生身の男よりバイブの方がいいわよ」と主張するミランダに、シャーロットが「でもバイブは誕生日に花もくれないし、親にも紹介できないじゃない!」と返す。たしかに「パパママ、これが私のバイブなの」と紹介したら、親御さんはびっくりするだろう。
その後「あんなこと言ってたけど、シャーロットったらメイド・イン・ジャパンのラビットってバイブにハマちゃったのよ」というセリフがあり「日本の技術力は世界一ィィィ!」と誇らしくなった私。
そんな私の周りでもさまざまなオナニー事件が起こった。そのうちの1つが「二階からバイブ事件」だ。
女友達が実家の二階のベランダで布団を干そうとしたら、布団に紛れこんでいたバイブが庭仕事中だった父親の目の前に落ちたらしい。彼女が慌てて駆けつけると、父親は「壊れてないか?」とバイブを渡してくれたという。「この淫乱が!」とバイブでめった打ちにする父親じゃなくてよかった。
別の女友達はソファでオナニーしながら寝落ちしてしまい、発見した夫に「大丈夫か?!」と揺り起こされたそうだ。夫は妻がローターで感電死したと思ったという。
また別の女友達はオナニーしながら寝落ちした翌朝、首からローターがぶら下がった状態で、宅急便を受け取ったそうだ。もし窒息して遺体で発見されていたら「新人デカが爆笑する現場」になっただろう。
そんなオナニー事件簿を振り返りながら、なつい気持ちでいっぱいだ。「なつい」は20代女子に教えてもらって最近覚えた。
芸人のカズレーザーが「若いうちにやっておいた方がいいことってありますか?」という質問に「脂っこいものをお腹いっぱい食べること」と答えていたが、オナニーも同じかもしれない。
若い頃はみんな仕事や趣味やオタ活や婚活に忙しく、金田一の犯人よりやることが多かったが、それでもオナニーしていた。そんな私も友人たちも「あの性欲はどこへ行ってしまったのかしら…」と遠くの緑を眺めている。40代は目がかすむお年頃なので、すきがあれば遠くの緑を眺める。
20代はテストステロンの暴れ太鼓がドンドコ鳴り響いていたが、30代後半からじょじょに鳴らなくなり、今ではプスッともいわない。45歳の私は「母さん、ぼくのあの太鼓どこへ行ったんでしょうね……」と六甲山を眺めている(拙者は神戸在住)。
そんなわけで「性欲も減ったし、膣は1つしかないしな!」と数年前にバイブの断捨離をおこなった。
こんまり流に1つ1つバイブを握りしめて「これはときめく……のか?」と選別したところ、irohaの商品が残った。irohaのサイトだからヨイショしているわけじゃなく、事実である。
その一番の理由は、デザインがおしゃれだから。
「性欲は死すともおしゃれ魂は死せず」と板垣退助も言っている、かどうかは知らんけど、やはり家に置いておくならおしゃれなものがいい。リアルなペニスを模したバイブとかはおどろおどろしいし、夜中にちょっとずつ伸びそうで怖い。
20代の私はタッパーでおすそわけしたいぐらい性欲が余っていたが、40代の私は逆さに吊るしても数滴しか出てこない。一方、20代の頃から「私は一滴も出ないよ!」という女友達もいた。
生まれつき大食漢の人もいれば食の細い人もいるように、性欲も人それぞれなのだ。ちなみに食べなくても寝なくても死ぬけど、オナニーやセックスをしなくても死なないので、私は性欲本能説には懐疑的である。
ともあれ、性欲に罪悪感を抱く人もいれば、性欲がないことに不安を抱く人もいる。
でも焼肉屋でカルビをガツガツ食べることは罪じゃないし、逆に「あんなに食べられない私はおかしいの?」と不安になる必要もない。私も今はタン塩と冷麺をあっさりいただきたい。
周りを見回すと「オナニーもセックスもしたい」というがっつり系の女子もいれば、「オナニーもセックスもいらない」というあっさり系の女子もいるし、「セックスはやるものじゃなく見るもの」という腐女子もいる。性は一人一人違って、バリエーションやグラデーションが幅広い。だから人間はカラフルで面白いのだ。
「人数が多い方が正しい」「みんな同じになれ」「女はこうあるべき」……そんな呪いから解放されると、ありのままの自分を肯定できる。するともっと自由に楽に生きられる。
「女はああしろこうしろ」「女はあれをするなこれをするな」とやかましい外野に対して「それはあなたが決めることじゃないし、あなたに認められる必要もない」と宣言するのがフェミニストだと私は思う。
申し遅れたが、拙者はフェミニストでござる。そして、女性が自由に選択できる社会を目指すのがフェミニズムだと思っている。
オナニー、セックス、恋愛、結婚、出産、仕事、趣味、メイク、美容、ファッション、ライフスタイル…あらゆる分野で女性の自由な選択を可能にして、多様な生き方を受け入れる社会を作ること。それがフェミニズムの目標であり、自分もその一助になりたいと思って、こつこつ文章を書いている。そして今はirohaを肩や首にあててマッサージ機として使っている。
凝りをほぐすため、性欲を解消するため、快感を探究するため、リラックスするため、気分転換するため…自分のために、それぞれの目的や喜びを叶えるためにする、それがセルフプレジャーなのだと思う。
私もまた何かの弾みに、暴れ太鼓が復活するかもしれない。その時はirohaの新商品を試したいな、と楽しみにしている。
■プロフィール
アルテイシア
作家。神戸生まれ。著書『離婚しそうな私が結婚を続けている29の理由』『40歳を過ぎたら生きるのがラクになった』『アルテイシアの夜の女子会』『オクテ女子のための恋愛基礎講座』(すべて幻冬舎文庫)、『恋愛とセックスで幸せになる 官能女子養成講座』(KADOKAWA)ほか、多数。
Twitter:@artesia59